*ブランドストーリー

ブ ラ ン ド ス ト ー リ ー

BRAND STORY


すべての人々の生活を豊かに快適な未来を目指して

【人々の生活を豊かに快適な未来を】

ライフスタイルの変化に伴い、時代の流れは刻一刻と変化をしています。特に環境問題は、”公害”といわれた地球の問題から”地球環境問題”へと変化し、その対応は現在社会において特に注目されています。

タカダ産業は、創業1974年(昭和49年)以来、環境に対する取り組みを追求し続け、循環型社会の形成、夢への実現に向け、「愛される会社」であり続けるため、より良いまちづくりを目指して参りました。2024年に創業50年を迎え、創立当時の「想い」を受け継ぎ、そこから更なる高みを目指すべく、環境に携わる環境集団として限界の先に真の価値を見出し、多角的に物事を捉えた事業展開を進め、これからも私たちができることを目指して歩み続けます。

私たちはごみ屋じゃないごみ屋を目指します。

愛される会社であり続けるために

1968年(昭和43年)に髙田知が髙田産業を創立したことで、我々の歴史はスタートしました。弱電部品の組立て、自動車部品の組立て、加工へと自動車部品の技術を学び、社会の発展に努めてきました。その後、運送業の許可を取り、有限会社タカダ通商を設立。運送業を始めたことで、企業としての社会的責任の重さを感じ、より社会に貢献できる会社とは何かを追及してきました。

地球のために私たちができること

その中で行きついたのが、「環境」でした。当時の世の中は「リサイクル」などの概念もなく、環境問題は、国を挙げての重要な問題となり、不法投棄や環境汚染など、地球環境や私たち生活にも大きな影響をもたらしました。

私たちは「環境」という仕事を一生の仕事として、仕事に誇りを持ち常に感動ある企業経営を目指し事業展開を続けて参りました。

様々な経験の中で、タカダ産業を支えてくれたのは、家族であり、従業員であり、地域の人々であり、まさに「人」と「人」とのつながりが私たちの原点であるといえます。

人々の生活を安心安全なものにしたい。そのことを第一に考え、人々に「愛され、必要とされる会社」であり続け、地域と共に発展すること。地球のために私たちができることは何か。それが、私たちの永遠のテーマです。

地域を想う 人を想う

兼ねてより、宝永4年の富士山の大噴火と伊奈半左衛門忠順公に関心を持っていた当時の代表取締役 髙田知が、2007年(平成19年)、御殿場市において、宝永大噴火300年記念事業の委員として参加したことをきっかけに、駿東59ケ村民を餓えから立ち上がらせた恩人を忘れることなく、後世に語り継いでいくことができないか模索を続けます。

ちょうどその頃、100年に一度の大不況に見舞われ、社会全体が活気をなくし、人も企業も元気を失っていました。未だ回復の兆しが見えない混沌とした状況の中で、宝永4年の大噴火と伊奈半左衛門忠順公が重なり、「私たちに何かできることはないか。」「地元御殿場を”元気にしたい”。」という様々な想いから、2011年(平成23年)に「半左衛門ブランド」を立ち上げました。


― 受け継がれる想い ―

ブランドの立ち上げや自社商品の開発にも、様々な人の支えがありました。御殿場のシンボルでもある富士山と半左衛門をモチーフに、半左衛門商品として、様々な商品を生み出してきました。主力商品であるオリジナルコーヒーは、御殿場のこだわり推奨品登録やふるさと納税返礼品などに利用され、微力ながら地域の発展に寄与していますが、ほとんどの商品は思っていたような効果は得られず、半左衛門事業の撤退も検討されました。

そんな中、タカダ産業が第50期を迎えた2024年(令和6年)9月、髙田宜秀が代表取締役に就任。髙田知が取締役会長に就任。

新たな見解として、タカダ産業の主軸でもある廃棄物事業そのものが「半左衛門事業」の根幹であり、創業者が掲げる経営理念そのものであることを提唱し、地域を巻き込んだ事業にするには、「環境(廃棄物)」が大きく影響していくと判断しました。そして、当時の想いを受け継ぎ、そこから更に進化させるため、半左衛門事業の再構築を図ることになりました。

環境というカテゴリーに捉われることなく、度量と挑戦を惜しまない環境集団として、地域のため、人々のために事業展開を進めていきます。

- 先人の想いは創業者へ -

51期より次世代へと受け継がれていきます。

- 地域を想い 人を想う -

人々の生活を豊かに、快適な未来を目指し、タカダ産業は、これからも歩み続けます。


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